幸せって?
人間ってなんのために生きているんだろうと考える。自分のため、家族のため、でも本当にそのために生きているんだろうか。
頑張って幸せを手にして、幸福な余生を過ごして。という物語は話では良く聞く。だけど本当にそうなのか?人にとっての幸せってなんなんだろう。
周りのことを考え、自分の置かれた立場を考え、結局はその枠の中で精一杯の幸せを模索して、その境遇に満足できるように自分を偽る?偽る?というよりも、それを幸せって言う言葉で、幸せって言うことがそれだと思いこんで、自分に言い聞かせているだけなのかもしれない?
違うと思う。そのときに、そのタイミングで幸せを感じること。それはもしかしたら恋なのかもしれないし、自分のプラス評価を耳にすることかもしれないし、羨望のまなざしをもらうことかもしれないし、最高に気持ちの良いSEXなのかもしれない。
でもそれが本当に幸せなんだろうか。違うと思う。あまりにも発想が貧困だ。そうではない自分をそういう風に思われているであろうと想像して、一人快楽を感じている。それを幸せと思いこんでいるんじゃないのか?
幸せ、幸せって言葉で聞くと、自分を含め健やかで、ユッタリとして、まったりとして、それが最高の瞬間だと思っている。そう言う環境を作ることが人生だと思っている。
違うと思う。本当に幸せってなんだろう?何を以て幸せだと思えるんだろう?
周りを考え、周りを偽り、自分を考え、自分を偽って、我慢できなくてそうしてしまって、結果冷静に考えると誰をも幸せにできていない。自分の満足を得るためだけに、自分は行動をしているのかもしれない。
それが間違いなのかもしれないと思いつつ、それが周りを不幸にするかもしれないと危惧しながらも、押さえることのできない気持ちって、実は凄く正直で、正直すぎるから自分が苦しむんじゃないかと思う。
相手はどう思うんだろう、そうであって欲しい、そう思いつつも、その時々の瞬間に一喜一憂をして、結局のところ自分を落とすところまで落としているんだ。ちっぽけすぎる。くだらなすぎる。何かがおかしい。でも、押さえ切れない気持ちがそこにあるのは、ある意味凄く正直なんだと思う。
正しい事ってなんだろう。
自分が良いと思って進めたことが、結果としてある人を不幸にし、ある人を幸福にしたと思っていると、そうでもなかったりする。
それが自分の考えに正直なことかというと、正直そうでもなくて、実は良くやったと思われたくて、実行に移したわけで、結果一部にそう思われたとしても、実は大半の意見としては結果良くなかったことが判明したりすると、もう正直やってゆく自身が無くなるわけで。
正直な気持ちを表現することが、結果として人を不幸にすることもある。これは多分事実なんだと思う。
でも、人を不幸にしない生き方が自分にとっての100%の責務かと思うと、正直それは約束できないかもしれない。
難しすぎる。
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